よい教育研究とはなにか

よい教育研究とはなにか
流行と正統への批判的考察
原書: Educational Research: An Unorthodox Introduction
ガート・ビースタ著
亘理陽一, 神吉宇一, 川村拓也, 南浦涼介 訳
単行本(ソフトカバー): 244ページ
明石書店 
言語: 日本語
ISBN-10 ‏ : ‎ 4750357820
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4750357829
発売日:2024/5/30

書籍内容

エビデンスに基づく教育から価値に基づく教育へ

エビデンスの蓄積を通じて教育を改善し、説明責任を果たしていく。新自由主義体制下の教育界を覆うこの「正統的」研究観は本当に「知的な」姿勢といえるのか。デューイの伝統に連なる教育哲学者ガート・ビースタが、教育研究指南書が語ることの少ない教育研究の前提じたいをラディカルに問い直す。

日本語版への序文

 2つ以上の言語を用いる人は、翻訳という仕事がいかに難しいものであるかを知っています。言語は、物事に貼られたラベルの集まりなどではありません。そうであれば翻訳とは単にラベルを置き換えるだけの問題になるわけですが、言語は複雑な生きた実体で、それを「体系」と呼ぶことがすでに単純化になってしまうようなものであり、すなわち、ある言語のなかで自在な「動き」で物事を表現できるからといって、別の言語でもそのままそうした「動き」が可能となるわけではないのです。平たく言うと、ある言語では簡単に言い表せることでも、別の言語で言うのはとても難しいことがあり得るし、時には明確に説明できないということもあるというわけです。
 教育分野の翻訳はいっそう複雑なものになります。なぜなら、本書の章の一つで明らかにしているように、教育学とその研究は、世界中で同じ概念とアプローチを共有するまとまった分野などではなく、それ自体、多様だからです。だからこそ、教育それ自体が、異なる捉え方やアプローチ、伝統の間の翻訳を必要としています。それは何よりもまず、あるアプローチや伝統で重要な問いや問題、あるいは本書の言い方で言えば教育の構成が、必然的に別のアプローチや伝統においても重要な問いや問題とは限らないからです。
 英語という言語がとりわけ扱いにくいのはこの点においてです。というのは、英語には教育「を」語り、教育「について」語るある意味で唯一の単語として ‘education’ という単語がありますが、オランダ語やドイツ語、フィンランド語といった言語では概念が集合をなしていて、その概念に合わせて、様々な教育実践の間の、そして、そうした実践において問題となる様々な目標の間の重要な区別が、記述・説明・正当化されるのです。あるアプローチでは、教育はテクニカルな問題とみなされます。例えば、どうしたら教師が知識や技能を効果的に学習者に伝達できるかといった問いに関するものです。一方、別のアプローチにとって教育は根本的に人間の問題であり、どのように教育者が子どもや若者を励まし支援して、その自由を賢く使うことができるかに関心があります。
 このように見ると、教育「に関する」研究が、単純なデータの収集・分析という問題ではあり得ないということがはっきりします。なぜなら全ては、自分がどういう「教育」を調べようとしているのかという問いに始まり、その次の段階として、自分が研究の対象にしようとしている教育において何が「争点になっている」のかを理解する必要もあるからです。
 教育研究の多くの入門書は、実用的な研究方法の専門的知識へと直ちに向かおうとします。例えば、研究課題のまとめ方やデータの集め方、データの分析法、適切な結論の引き出し方といったことです。一方、本書の主たる目標は、教育という複雑で複数性を持った分野へのいざないを読者に提供することです。ある分野で自分がどこにいるのかわかるという場合、それが意味するのは、その分野がどのように形作られているかについての感覚を持っており、そのような分野の内側や周囲で動き回ることができるぐらいの知識を持っているということですが、その中で研究者は容易に迷ってしまい、つい研究を行うレシピ、つまりメソッドに従おうとしてしまうのです。しかし、知的で、知識に裏打ちされたやり方で、教育の中で、教育に関して、教育のために研究を行うことはまだ可能なはずなのです。
 だからこそ本書は、教育と教育研究に対するメソッド思考の広がりに抵抗するのです。理由もわからずにある方法を信奉しても、決してよい研究は生まれず、せいぜいすでに存在する研究を複製するぐらいでしょう。ジョン・デューイが述べた通り、教育研究の仕事が教育的行為をより知的にすることだとするならば、本書の目標は、かけ出しの教育研究者が(自らの)研究をより知的にできるようにすることです。つまり研究を、より思慮深く、より政治性に自覚的で、様々な教育実践それ自体の趣旨や目的とより密接に結びついたものとすることです。

 (…後略…)

本書 日本語版への序文より

目次

日本語版への序文
 謝辞
 著者について
 序文

プロローグ 教育研究の正統的教義

第1章 理論、流行、そしてプラグマティズムの必要性
 はじめに――他人の理論に迷い込む
 理論の流行、信条告白、流行理論の盲信
 ノンプラグマティックであることの問題点
 理論という考え方
 教育・社会調査の理論――パラダイムか目的か?
 3つの選択肢か、統合的な見方か?
 最も難しい問題――なぜ研究をするのか?
 結論――プラグマティストにならずにプラグマティックであること
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第2章 教育をよりよいものにすること
 はじめに――研究を通じた教育の改善
 TLRPの効果的教授法の10原理
 教育の改善――有効性、それともよりよいものへの変化?
 教育がうまくいっている理由を説明する――因果関係か複雑性か
 研究の実践的役割
 結語
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第3章 「何が役に立つか」では不十分だ
 はじめに――エビデンスに基づく営みに向かう?
 「何が役に立つか」についてのエビデンス
 認識論――表象かトランザクションか
 存在論――因果性か複雑性か
 実践――適用か統合か
 エビデンスに基づく教育から価値に基づく教育へ
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第4章 教育の実践
 はじめに――実践的であること
 過去――教育における熟慮の伝統
 現在――何が違うのか?
 未来――これからの時代。どこへ行くのか、何をするのか?
 結論
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第5章 教育研究の様々な伝統
 導入
 アングロ・アメリカ的伝統
 教育理論に対する立場
 大陸的伝統
 ‘Pädagogik’(教育学)という分野
 考察
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第6章 教育、測定、民主主義
 はじめに――測りすぎの時代における教育
 専門職の民主化
 民主化の後に生まれた3つの歪み
 第1の歪み――クライアント、患者、学び手から、消費者へ
 第2の歪み――民主的なものから、技術的・管理的な説明責任へ
 第3の歪み――専門知からエビデンスに基づく実践へ
 測定が担っていること
 民主的な専門性の場を再生する
 民主的専門家の概念を形づくる
 結語
  議論とさらなる検討のための5つの問い

第7章 知識を再考する
 はじめに――認識論と心/世界の枠組み
 知ることのトランザクション理論
 経験と現実と知識
 プラグマティズムの結果
 結論――客観主義と相対主義を超えて
  議論とさらなる考察のための5つの問い

第8章 学術出版をめぐる政治経済学
 はじめに――もうどうにもとまらない症候群
 学術出版を解き放つ――解放か? 無料か?
 認識論の陥穽――知識とは「知識ビジネス」というビジネスなのか?
 合理性の危機
 結論
  議論とさらなる考察のための5つの問い

エピローグ 研究が多すぎる?

 訳者あとがき
 参考文献
 索引
 訳者一覧

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